〔34〕 支配階級の動きというように抽象することが必要である。これが実体論的分析ではないか

〔34〕 支配階級の動きというように抽象することが必要である。これが実体論的分析ではないか

 

 われわれは、何らかの軍事的・政治的・経済的動向を分析しあばきだすときには、抽象する能力が問われる

 新聞記事を読むと、勃発した事態について記者が反映した内容がわかる。書かれてあることがらを吟味するかぎり、そのようなことが起こったのであろうといえるという判断がつく。しかし、その背後でどのような政治勢力や独占資本家どもが動いたのか、ということはわからない。そこで、われわれは、インターネットで、いろいろ関連する資料を調べようとする。そのようにやっても、往々にして、いい資料が出てこず、よくわからない、となってしまい、原稿を書くのが延び延びになり、書けないままとなる。しばしばこういうことになる。

 私は、このように資料をさがすことをしないほうがよい、と考えるのである。新聞記事を読むだけで(あるいは、インターネットで他の新聞の記事をも見たり、記事に出てきたが自分の知らなかった団体を調べるぐらいにして)、考えて分析するのがよい、と思うのである。

 生起した事態の背後でうごめいた者どもは、からみあってうごめいた・それぞれのうごめきの担い手である。われわれが、生起した事態の諸特徴をつかみとるのも、その背後でのいろいろなうごめきの担い手を明らかにするのも、それは現象論的分析である。

 いろいろとうごめいたであろう・その担い手を具体的につかみとることができなくても、そこはなおつかみとりえていないものとして、この事態の勃発に働いた力を、われわれは分析しなければならない。それは、われわれにとっては未知のものをふくめて、いろいろな政治諸勢力と独占資本家どもやその諸グループが織りなす合成力である。すなわち、エンゲルスの言う平行四辺形の法則である。

 われわれは、このような合成力として、支配階級たる資本家階級の・被支配階級たる労働者階級にたいする動き=実践をつかみとらなければならない。この動き=実践をつかみとることが、生起した事態の実体論的分析である、と私は考えるのである。

 われわれは、支配階級の被支配階級にたいする動き=実践を分析することをとおして、ただちに、事態の階級的本質をつかみとることができるのである。これが、生起した事態の本質論的分析である。

 マルクスは、商品の交換価値(あるいは価値)の担い手は商品の使用価値すなわち商品の体(からだ)そのものであり、商品の価値の実体は抽象的人間労働である、というように明らかにした。商品は、抽象的人間労働、そのような社会的実体の結晶としては、価値である、と。

 われわれは、このマルクスの論理をわがものとし駆使して、われわれが直面した事態をうみだした社会的力、支配階級の被支配階級にたいする動き=実践をつかみとらなければならない、と私は考えるのである。

 われわれは、これをつかみとるためには、事態の諸現象を抽象する論理的な力を働かせなければならず、この抽象する力をたかめるように自己を不断に訓練しなければならない、と私は思うのである。