「形態とその実体」といいうるか。「価値の実体」「価値とそれのとる形態」「価値形態とその担い手」ではないか

「形態とその実体」といいうるか。「価値の実体」「価値とそれのとる形態」「価値形態とその担い手」ではないか

 

 論理的に言って、「形態とその実体」といいうるのか、ということを考察することが、ここでの課題である。いろいろと考えてきた結果として、そのようには言えない、と私は考える。「形態とその実体」という把握は、「形態とその担い手」というべきことをとりちがえたものであり、その根拠は、「実体」という概念と「担い手」という概念とを同一視していることにある、という結論に、私は達したのである。

 マルクスが『資本論』で展開している「価値形態」にかんする論述を見よう。

 彼は、『資本論』の第一部第一篇第一章第一節において、価値に着目するかぎり、交換価値から出発して、「社会的実体の結晶として」「諸商品価値」を明らかにし、「研究の進行は吾々を、価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値につれ戻すであろうが、しかしさしあたり、価値はこうした形態に係わりなく考察されねばならない。」(長谷部文雄訳、青木書店、119頁)と宣言して、商品の価値の大きさは何によって規定されるのか、ということを解明した。

 そのうえで、第三節において、マルクスはたち戻った。

 「吾々は実際、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている諸商品の価値の足跡を発見した。いまや吾々は、価値のこの現象形態にたち戻らねばならぬ。」(135頁)と。

 マルクスは、このように問題を提起して、「最も簡単な価値関係」として、「x商品A=y商品B すなわち、x量の商品Aはy量の商品Bに値する」という式を提示し、「あらゆる価値形態の秘密は、この簡単な価値形態のうちに潜んでいる。」としたのである(136頁——下線は原文では傍点)。

 マルクスは、このように、価値の実体をつかみとり、価値とは何であるのかということを明らかにしたうえで、価値形態を、すなわち価値の現象形態を論じたのである。「実体」ということを問うのであるとするならば、「価値の実体は何か」と言うべきであって、「価値形態の実体」というようには言えないのである。

 もしも、あえて「価値形態の実体」と言い、この表現に何らかの意味を見いだすのであるとするならば、価値形態とは「x商品A=y商品B」という価値関係のことであるからして、この「実体」という概念は「担い手」という概念に移行し、価値形態=価値関係の担い手という意味になってしまうのである。価値形態=価値関係の担い手とは、商品Aおよび商品Bのことである。すなわち、商品体そのもののことである。

 このように考察してきたのであるかぎり、たとえ価値ということから論理的に抽象化して論理だけをとりだすのだとしても、「形態とその実体」というようには言えない。価値を本質的なものと措くならば、「本質的なものの実体=本質的なものを本質的なものたらしめる実体」と「本質的なものがとる形態」「形態とその担い手」というように論理的に把握しなければならないであろう。