1871年のパリ・コンミューンはブルジョア国家機関を粉砕した。コンミューンは労働者階級解放の組織形態だ
共産党も立憲民主党も——その他の野党は当然のこととして——自分たちは労働者を代表する党だ、とは主張しない。せいぜい反自民の党として押し出すぐらいのものである。これは、あらゆる政党が現存支配秩序を維持するとしたうえであれこれの違いを出しているにすぎないものだからである。これらの連中は、労働者たちを支配するか欺瞞することを自分たちの任務としている者たちばかりなのである。票が欲しいと動き回っている連中は、こういう者たちなのである。このことは、日本で国会と呼ばれるブルジョア議会そのものが、資本家階級が労働者階級を支配するための機関であることにもとづくのである。
われわれは、労働者階級の闘いの歴史から教訓をつかみとらなければならない。
歴史上はじめて労働者階級がブルジョア国家機関を粉砕したのは、1871年のパリ・コンミューンであった。
コンミューンは、「そのもとにおいて労働の経済的解放が達成されるべき、ついに発見された政治形態であった。」——マルクスは、1871年のパリ・コンミューンの意義をこのようにつかみとったのである。
マルクスが明らかにした、この政治形態の特質は、「コンミューン型国家の四原則」と呼ばれる。
①「コンミューンの最初の命令は、常備軍を廃止し、それを武装した人民ととりかえることであった。」——プロレタリア民兵制
②「コンミューンは、パリの各区での普通選挙によって選出された市会議員から成っていた。彼らは責任を負い、いつでも解任することができた。コンミューン議員の大多数は、もちろん、労働者か、労働者階級の公認の代表者かであった。」——完全な選挙制とリコール制
③コンミューンは議会ふうの団体ではなく、同時に執行し立法する行動的団体でなければならなかった。」——立法と執行をかねそなえた行動的団体
④「コンミューンの議員をはじめとして、公務は労働者なみの賃金で果たされなければならなかった。」——労働者なみの賃金
レーニンは、このことを『国家と革命』でまとめている(第三章の二「粉砕された国家機関を何にとりかえるのか?」国民文庫版では55頁~57頁)のである。
1917年のロシア革命のときに、労働者・農民がツァー専制国家権力を打倒するために創造したソビエト(労働者評議会)は、このコンミューンのロシア的形態であった。と同時に、このソビエト=コンミューンは、労働者階級がプロレタリア革命を実現するために創造すべき普遍的な組織形態なのである。
われわれは、1871年のパリ・コンミューンの経験とそのマルクスの教訓化および1917年のロシア革命の経験とそのレーニンの教訓化をわがものとして継承し、そして発展させて、21世紀現代世界において、あらゆる帝国主義国家権力および資本主義国家権力を打倒するためにプロレタリアートは、ブルジョア国家機関を粉砕し、職場ソビエト(職場労働者協議会)を基底として産業別的業種別的と地方別的地区別的との二重の構成をもつソビエト(労働者評議会)を創造しなければならない、ということを明らかにしてきた。
われわれはまさに、この衆院選挙のただなかにおいて、反議会主義の立場にたち、労働者・勤労者・学生たちを階級的に変革するために、いま述べてきたようなことがらを明らかにするイデオロギー的=組織的闘いを大胆かつ柔軟にくりひろげていかなければならない。