現代ウクライナのナショナリズム——「ホロドモール」弾劾というイデオロギー

現代ウクライナナショナリズム——「ホロドモール」弾劾というイデオロギー

 

 1991年のソ連の崩壊によって資本主義国家として独立したウクライナ、このウクライナの支配階級にのしあがり国家権力を掌握した人びとが、同じ支配階級に属する人びとや自分たちが支配する労働者・農民・その他の諸階層の人びとを国家として統合するために、幻想的な共同性をあらわすものとしてこれらのすべての人びとに貫徹したイデオロギー、これが現代ウクライナの独自のナショナリズムなのであり、その機軸をなすものが「ホロドモール」弾劾というイデオロギーなのである。

 「ホロドモール」とは、ウクライナ語で「飢餓による殺戮」という意味をあらわす造語である。この言葉がさす物質的な対象は、1932年から33年にかけてウクライナできわめて多数の餓死者が生みだされたという事態である。この「ホロドモール」という呼称には、この事態を、ウクライナもその構成共和国の一つをなしていたソ連、このソ連の指導部であったボルシェビキが、ウクライナ民族を絶滅するために大飢饉を意図的に人工的につくりだしたことによって生みだされたものなのだ、という意味がこめられているのである。

 この事態をわれわれの観点から分析するならば、それは、スターリンが、農業を強制的に集団化しコルホーズをつくりだしたことを基礎にして、ソ連経済の急速な重工業化を目的とし、これを実現するのに必要な機械を輸入するために、コルホーズの農民から・彼らが飢えるのもものともせず・穀物を供出させたこと(「飢餓輸出」と呼ばれる)、これによってもたらされた事態なのである。

 ところが、1991年を結節点としてウクライナの支配者となった者たちは、この事態を引き起こした主体を、スターリンと彼が掌握したソ連指導部と把握するのではなく、このスターリンレーニンを引き継いだものとして・レーニンが指導していたボルシェビキそのものと描きあげたのである。ウクライナの支配者たちは、そのうえで、そのボルシェビキは、大ロシア民族がウクライナの土地を奪うために、ウクライナ民族を絶滅することを狙って、大飢饉と飢餓を意図的に人工的につくりだしたのだ、という像をこしらえあげたのである。すなわち、彼らは、ウクライナの労働者たちと農民たちが、ソ連の過渡期(その第一段階と第二段階とをふくむ共産主義社会への過渡期の社会)の経済建設をどのようにおしすすめるのかという立場にたって、スターリンの・農業の強制的集団化政策の誤謬と、農民を犠牲にしての重工業化政策の誤りとをあばきだす理論的作業に踏みだす、という道を絶ったのである。ウクライナの新たな支配者たちにとっては、労働者たちや農民たちを、自分たちの支配する国家に統合するために、このような虚偽のイデオロギーを彼らに貫徹することがどうしても必要だったのである。だからまた、彼らは、1932年から33年にかけては、大飢饉と餓死は、ソ連全域の農村で生みだされたものであったにもかかわらず、ウクライナでのみ生みだされたものと描きあげたのである。

 このようなものとして、「ホロドモール」弾劾のイデオロギーは、反ソ連=反ロシアの排外主義のイデオロギーなのであり、反ボルシェビキ=反共産主義イデオロギーなのである。それは、労働者・人民を国家として統合するための現代ウクライナナショナリズムイデオロギーなのである。

 2005年にユーシチェンコが大統領に就任するとともに、当該の事態を「ウクライナ民族にたいする虐殺である」と認定する決議を議会で挙げた。

 さらに2015年には、ウクライナの支配者たちは、「ホロドモール」という認識に反する発言をしたり共産主義を主張したりした者は罰する、と規定した「反共産主義法」を制定した。

 ウクライナの労働者・人民は、ロシアのウクライナ侵略を阻止するとともに、米欧日の帝国主義諸国の支援をうけたゼレンスキー政権による対抗的軍事行動への自分たち労働者・人民の駆り出しをうちやぶるために、そしてこの闘いをつうじて、ウクライナのプロレタリア革命を実現する組織的基礎を創造するために、「ホロドモール」弾劾というイデオロギーを基軸とするウクライナナショナリズムからみずからを解き放ち、みずからをプロレタリア階級として組織し階級的団結をかちとるのでなければならない。