日本共産党の、不破哲三の『資本論』解説の解説——「市場経済」活用論とその基礎づけ
日本共産党は、不破哲三の『資本論』解説を次のように解説する、
「さらに、『57~58年草稿』の「序説」として書かれた「経済学の方法」をとりあげて、理論的な研究をするときには、つねに現実の社会が「前提として」頭の中に思い浮かべられていなければならないというマルクスの姿勢も強調されています(101~107ページ)。つねに頭の中に現実の資本主義を思い浮かべて、それにむかって論理を1つずつ積み重ねて、一歩一歩迫っていく、これは、先ほど紹介した「発生論的方法」そのものです(106ページ)。
この方法は、『資本論』第1章の最初に登場する商品はいったいどういう性格の商品か、それを正確に理解するうえでもポイントになっています。この冒頭の商品の性格をめぐっては、大きな論争があるのですが、不破さんの結論は明快です。“第1篇は、商品経済の研究であって、「資本」はまだ登場しない。資本ぬきで市場経済を研究するのが第1篇の主題だ”と。しかし、ではここでの研究対象は、資本がまだ存在しない資本主義以前の社会なのかといえば、そうではなく、「資本主義的生産様式が支配している諸社会」(『資本論』[1]59ページ)、つまり資本主義社会です。この両者の関係が正しくつかまれなかったところから、この最初に登場する商品の性格をめぐって論争もおこなわれたのでした。不破さんは、先ほどのマルクスの「方法」を念頭において、「資本主義社会を、商品の生産と交換、市場経済という面からとらえて研究する、それが第1篇の研究対象なのです」と指摘しています(第1冊101ページ)。つまり、資本ぬきで商品をとりあつかうが、しかし、現実の資本主義社会のことが研究の対象として、いつも頭の中に思い浮かべられているということです。」
この解説は、したがって不破哲三の解説そのものが、現実の資本主義社会を頭の中に思い浮かべておくというように一見いいことを言っているかのように装ったところの悪辣なものである。この解説は、現実の資本主義社会から資本ぬきの商品経済というものを抽象し、資本ぬきのこの商品経済なるものを社会主義社会において活用するのだ、というように主張し、基礎づけるものなのである。このようなことをあたかもマルクスが『資本論』で明らかにしていたかのように見せかける言辞が、「資本主義社会を、商品の生産と交換、市場経済という面からとらえて研究する、それが第1篇の研究対象なのです」なのである。すなわち、「商品の生産と交換、市場経済という面」は社会主義社会において活用できるのだ、ということなのである。
したがって、現実の資本主義社会を頭の中に思い浮かべておく、という不破の言辞は、よりいっそう深い悪辣な意味をもっているのである。現実の資本主義社会には活用できるものがあるんだ、ということをこそ、不破は言いたいのだからである。
『資本論』のはじめの方で論じられている商品は、単純商品なのか資本制商品なのかということを、過去のスターリン主義学者たちは論争したのであったが、不破は、この論争を止揚するかのように装って、みずからの「修正資本主義」論を基礎づけたのである。
マルクスは、「資本主義社会を、商品の生産と交換、市場経済という面からとらえて研究する」ことからはじめたのではない。すなわち、資本ぬきの商品の生産と交換を論じたのではないのである。マルクスは、当時の資本主義社会を出発点にして、これを下向的に分析し、この下向のどんづまりにおいて、資本制生産様式が支配的に行われる諸社会の富の「原基形態」として「商品」をつかみとり、この「商品」を上向的な体系的展開の出発点としたのである。したがって、マルクスは、この商品が——資本ぬきではなく——資本によって生産された商品であることを前提としているのであり、労働生産物が商品となるのは、この労働生産物が他の労働生産物と交換されることにおいてである、として、ここから、その体系的な展開を説きおこしているのである。
したがってまた、マルクスは、この資本主義社会が成立したのは、すでに崩壊しつつあった農業共同体というかたちで耕作していた直接的生産者たちが、土地などの一切の生産手段を奪われ、無一文の人間として都市に流れこみ、国家権力によって鞭打たれ・焼き印を押され・三度目には死刑に処せられるという暴力でもってプロレタリアにされたことにもとづく、ということを歴史的に反省しているのであって、このことを『資本論』の第24章において「資本の根源的蓄積過程」として叙述したのである。だから、マルクスは、この章の最後で、「収奪者が収奪される」というように、プロレタリアートはこの資本制社会をその根底から転覆すべきことを明らかにしたのである。
このようなマルクスを蹴とばし、資本ぬきの市場経済の活用を説いているのが不破哲三なのであり、今日のその解説者なのである。
われわれは、日本共産党のこのような主張を徹底的に批判しなければならない。
