天皇制ボナパルティズム国家が日本民族をつくったのである

天皇ボナパルティズム国家が日本民族をつくったのである

 

 エスニシティと呼ばれるものや民族と呼ばれるものは、いったい、どのようなものなのか。われわれがそのイメージを浮かべやすい・日本民族と呼ばれるものの成立について考えてみよう。

 明治政府という現実形態をとった天皇制絶対主義国家が、そしてこれが形態変化をとげたところの天皇制ポナパルティズム国家が、日本民族と呼ばれるものをつくったのである。私はこう考えるのである。

 あらかじめ歴史上、日本人という民族があったうえで、あるいは日本人・沖縄人・アイヌ人というエスニシティがありこれが統合されて、日本のブルジョア国家が成立した、ということではない、と私は考えるのである。漠然とであれ私が否定したような像を描くのは、天皇ボナパルティズム国家を原型とし、これを過去に投影して解釈するものである、といわなければならない。

 民族なりエスニシティというばあいには、その一つのメルクマールとして、言葉を共有しているということが挙げられるのであるが、明治政府が成立したときには、東北地方の人たちと薩摩地方の人たちとでは言葉が通じなかったのである。江戸時代には藩ごとに経済も文化も言葉も地方分散的だったのであり、京都で流行った言葉が時間=時代とともにだんだん遠くへ伝搬していくという傾向をもっていただけなのである。明治政府が、東京の山の手の教養をもった人たちの言葉を標準語と定め、これを義務教育で人びとに強制したことによって、日本語というものが成立したのである。地方の子どもたちは、親をまねて体得した言葉を使うと罰として「方言札」といったものをつけさせられて晒し者にされたのである。これは、沖縄の子どもたちと人びとが一番大変だったのである。このような国家権力による強制がなければ、日本語の成立はありえなかったのである。

 また宗教にかんしても、明治政府が「神仏分離令」を出し、神仏分離政策という名のもとに神道を、支配階級を構成する人びとおよび労働者と農民に貫徹したのである。この国家的強制のもとに、「廃仏毀釈」運動が組織され、仏像や寺を壊して、神道天皇制国家の普遍的宗教となったのである。自然宗教として「八百万の神」を信じる人びとが日本民族となり、この民族が明治期の日本の国家をつくった、ということでは決してない。

 すなわち、徳川幕府を倒して明治政府をつくり・みずからを支配階級におしあげた人びとが、国家統合のイデオロギーとして——人びとに受け入れられやすいものとするために天皇家に伝承されてきた宗教的儀式や村々のしきたりを基礎にして——天皇イデオロギーを創造し、これを被支配階級たる労働者と農民に貫徹したのであり、こうすることによって日本の天皇制国家を(封建制から資本制への過渡期の国家である絶対主義国家から、ブルジョアジー独裁の一統治形態をなすボナパルティズム国家に形態変化をとげたそれを)つくりだしたのである。

 エスニシティや民族を歴史貫通的なものとみなし「民族の独立」を至上の目的として希求するのは、太平洋戦争に打って出て、東アジアの人びとを殺し、日本の労働者と農民に無残な死を強制した天皇制国家と支配階級への怒りがない、といわなければならない。