ホンダ、部品メーカーの選別・淘汰を開始

ホンダ、部品メーカーの選別・淘汰を開始

 

 ホンダは主要部品メーカーにたいして、二酸化炭素排出量を2019年度比で毎年4%ずつ減らし、2050年に実質ゼロにするように要請した。これは、EV(電気自動車)とFCV(燃料電池車)との生産への転換を急ぐホンダが、自社の傘下の下請け・孫請け企業の選別・淘汰を、すなわち自企業の戦略にそぐわない部品メーカーの切り捨てを開始したものにほかならない。

 ホンダは、2040年にすべての新車販売をEVかFCVかにするという目標を掲げていることに端的にしめされるように、HV(ハイブリッド車)をできるだけ長く生産し、水素エンジン車をも生産する、というかたちで内燃機関にしがみつきたいトヨタなどと明確に異なる企業戦略をとっているのであり、アメリカのテスラや多くの中国企業と同様の道を歩んでいるのである。

 この対立は、生産設備を抜本的に更新して労働者たちを無慈悲に路頭に放りだすのか、それとも、労働者たちを従来どおりの方式で徹底的に搾取しつづけるのか、という独占資本家どもの労働者の剰余労働の搾り取り方の違いにもとづくものなのである。

 労働者たちは、独占資本家どものいずれの策略をも許してはならない。全世界の労働者たちは国際的に階級的に団結してたたかおう!

 

トヨタの苦悶

トヨタの苦悶

 

 脱炭素の技術の開発競争にかんして次のように報じられた。(「読売新聞」二〇二一年一一月一四日)

 <トヨタ自動車マツダ、SUBARU(スバル)、川崎重工業ヤマハ発動機の五社は、一三日、脱炭素社会の実現に向け、レースを通じて水素エンジンやバイオ燃料の開発・利用で協力する方針を発表した。

 トヨタは水素エンジン車でのレースを続けるほか、来年はスバルと共に、バイオマス由来の合成燃料を使う新たな車両を投入する。マツダは、使用済み食用油や微細藻類の油脂を原料とした一〇〇%バイオ由来のディーゼル燃料を使ったレースを始める。川重とヤマハは、二輪車向け水素エンジンの共同研究を検討する。同じく二輪車大手のホンダとスズキも参加する方針だという。

 自動車業界は世界的な脱炭素化の流れを受け、電気自動車や燃料電池車の開発を進めている。水素エンジンやバイオ燃料は、メーカーが長年培ってきた内燃機関の技術を活用できるため、関連する雇用の維持も期待できる。五社はレースという過酷な条件での走行を通じ、内燃機関による脱炭素化の可能性を追求し、技術の選択肢を広げたい考えだ。>

 <トヨタ豊田章男社長は、><「(脱炭素を進めたとしても)内燃機関が生き残り、かつ発展させる方法があるのではないか」と訴えた。>という。

 豊田章男の苦悶の顔が浮かぶようだ。

 この男は独占資本家として、これまでそうであったようにこれからも、あくまでも、トヨタ生産方式によって自企業の労働者たちを徹底的に搾取し、自社の系列下の下請け企業・孫請け企業とそこで働いている労働者たちを無慈悲に収奪しつづけていくことをたくらんでいるのだ。

 労働者たちを搾取し収奪することにおいて、電気自動車のテスラなんぞに負けるものか、というわけなのだ。

 相争う独占資本家どものたくらみの貫徹をうち破るために、全世界の労働者たちは階級的に国際的に団結してたたかおう!

 

前途多難な水素ステーションの設置

前途多難な水素ステーションの設置

 

 政府は、水素で走るFCV(燃料電池車)の普及をはかるために、小型の水素ステーションの整備にのりだす方針だという(読売新聞、10月30日朝刊)。

 FCVは、トヨタが、自社の立ち後れているEV(電気自動車)に対抗する狙いをもこめてその開発と生産に力を入れているものであり、水素ステーションは、また、同社が開発している水素エンジン車の普及のためにもどうしても必要不可欠なものなのである。だから、それの整備は、豊田章男が、「日本がEVに特化すると、日本の自動車産業はつぶれるぞ」、とヒステリックに脅して、政府に要求してきたものなのである。

 水素ステーションは、建設中のものをふくめて、全国に169か所ある。現在、主流のものは、工場でつくった水素を運びこみ、1時間で5~6台に充填できるタイプであり、整備費は約4億円かかる。補助金を使っても事業者は、約1億5000万円が必要になる、という。

 これにたいして、政府が来年度から新たに補助金の対象として加えようとしているのは、1時間の充填能力が1~2台のものである。このばあいには、ステーションの設置場所で水を電気分解して水素を製造するとし、1か所あたりの整備費は約1億5000万円かかるが、補助金を使えば約5000万円で済む、とされる。

 水素ステーションは、現在、東京都に23か所、愛知県に37か所あるというように、トヨタを支援するような配置になっている。これに小型のものを加える、というわけなのである。

 充填能力が1時間に車1~2台というのだから、FCVや水素エンジン車の普及のためには、膨大なステーションの設置を必要とする。しかも、その場所で、わざわざ水を電気分解して水素をつくるというのだから、膨大な電力を必要とするのであり、そんなことをするくらいなら、電気エネルギーをそのままEV(電気自動車)に使った方がいいじゃないか、ということにもなってくるのである。

 どうも、トヨタも参加する意向であるところの、オーストラリアやブルネイでつくった水素を液体水素にしてタンカーで日本に運んでくる事業、この水素を水素ステーションで使うのではないようだ。この水素を小分けにして陸路でステーション設置地にまで運ぶのは大変であり費用がかかるのだろう。

 日本独占ブルジョアジー総体の利害を体現する政府は、「水素ステーションの設置を急がないなら、トヨタは日本から海外に逃げるぞ」というトヨタの社長の脅しのゆえに、その設置を急いでいるのだが、その実現は前途多難である。

 日本の独占資本家ども総体も、トヨタの社長も、脱炭素産業革命に対応して自分たちが生き延びるために、労働者たちから剰余労働をどのようにして徹底的に搾り取っていけばいいのか、というように、その策をねっているのである。

 

テスラ、株式時価総額1兆ドル超え

テスラ、株式時価総額1兆ドル超え

 

 10月25日のニューヨーク株式市場でEV(電気自動車)大手テスラの株式の時価総額が1兆ドル(約110兆円)の大台をはじめて突破した。時価総額の1兆ドル超えは「GAFA」などの巨大IT企業がすでに達成しているが、自動車メーカーでははじめてだという。トヨタはすでにテスラに抜かれている。

 車の販売台数では、テスラはトヨタよりも圧倒的に少ないにもかかわらず、株式の時価総額ではトヨタを凌駕して肥大化させつづけているのは、世界の投機屋ども(金融機関・独占企業・個人など)が、脱炭素の流れを当てこんで、その資金をテスラに投入しつづけていることにもとづく。

 テスラは、自動車産業のなかのガソリン車およびその部品の生産部門を壊滅させ、そこの労働者たちを路頭に放りだすかたちで、自資本を増殖させており、そしてよりいっそうそうしようとしているのである。

 トヨタは、当面はハイブリッド車の生産を拡大しつつ、水素エンジン車などを開発するというように、自資本を増殖させるために、トヨタ生産方式にもとづいて労働者たちから剰余労働を徹底的に搾り取りつづけると同時に、自企業の系列の下請け・孫請け企業群とそこの労働者たちからよりいっそう無慈悲に収奪しつづける、という道を選んでいるのである。

 両者ともに、その行動の本質は、労働者からの剰余労働の搾取の強化にある。

 このような搾取の強化をその根底からくつがえすために、労働者たちは階級的に団結しよう!

 

アベノマスクの罪

アベノマスクの罪

 

 会計検査院の発表によれば、政府配布の布マスクが8200万枚=115億円分が余剰となっているのだという。この余ったマスクの保管費用は、昨夏から今春までで6億円にまでのぼったのだという。

 アベノマスクがこのざまなのだ。

 政府はこのマスクをいつまで保管しつづけるのだろう。もはや布マスクをつける人はいない。研究者たちの実験によって、不織布マスクに比して布マスクは圧倒的に効果が低い、ということが判明しているからだ。

 新型コロナウイルスを蔓延させた責任を隠蔽するための、安倍晋三の自己保身のアベノマスク。

 労働者たちを徹底的に搾取している独占資本家ども、この独占資本家どもの階級的利害を体現している現存ブルジョア政府のやっていることはこういうものなのだ。

 

トヨタの労働者がパワハラをうけ、うつ病となって自殺

トヨタの労働者がパワハラをうけ、うつ病となって自殺

 

 いたましい。

 トヨタの販売店の38歳の男性の労働者が、パワハラをうけ、うつ病となって、2019年5月にみずから生命を絶ったのだ、ということを、この件が労災認定されたというニュースで知った。

 この労働者は、大学卒業後に同社に入社し、2018年6月以降、上司から「バカ野郎」などと言われ、ほかの社員の前で1時間以上にわたり大声で叱責されたのだ、という。19年2月に、うつ病を発症したのだ、という。

 御両親は、「なぜ息子が死ななければいけなかったのか、その理由をどうしても知りたかった。日本のすべての企業にもっと働きやすい職場をつくってほしい」と訴えた、という。

 このご両親に、何と声をかければよいのか、わからない。涙がでてきた。

 私は、18年6月にまで時間を引きもどし、私がこの職場の労働者となって、この上司に「何をするんだ! やめろ!」と怒鳴りつけたい気持ちでいっぱいだ。そのあとでこの労働者と二人で話して、「つらかったでしょう。どんなことをやられてきたのか、聞かせてくれ。くじけずに頑張ろう。何かあったら私に言ってくれ」、と彼を元気づけ、彼といっしょにご両親のところへいって、こういうことがあったと話し、「何かあったら、私に連絡してください。微力ながら、私も力をふりしぼりますので」、とあいさつしてきたい、ああ、時間を引きもどせたら! 私がその職場の労働者であったならば! という思いに私は駆られた。

 

『資本主義だけが残った』――新たな反『資本論』宣伝

『資本主義だけ残った』――新たな反『資本論』宣伝

 

 

 読売新聞の読書欄に、ブランコ・ミラノヴィッチ著『資本主義だけが残った』(みすず書房)という本が紹介されている(10月17日朝刊)。

 著者は、現状を、「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」という米中の二つのタイプの資本主義の競争の時代だ、というのだそうである。これだけであるのならば、どうってことはないのであるが、見逃せないのは、評者の中央大教授・瀧澤弘和によって、次のように紹介されていることがらである。

 「著者によれば、共産主義は、植民地化された後進国が封建主義を脱し、政治的独立を回復して固有の資本主義を構築することを可能にするシステムなのだ。」

 評者がこの著書の内容を歪曲しなければならない理由は見つからないから、この本でこのように展開されているのだ、と言ってよいであろう。

 この著者であるミラノヴィッチは、現実肯定主義と解釈主義の立場にたって、二一世紀現代世界を解釈しているのである。

 この人物は、かつての中国を「共産主義」であったというようにアプリオリ(先験的)にみなし、今日の中国の資本主義をもたらしたところのものが「共産主義」なのだ、というように解釈しているのである。いやしくも「共産主義」について語るのであるならば、マルクスの『資本論』と彼のプロレタリアートの自己解放の理論についてなにがしかであれふりかえることが必要なのであるが、そのような学問的良心のひとかけらもないのが、この人物なのである。

 ルクセンブルク所得研究センター上級研究員という肩書をもつこの人物は、旧ソ連ないしソ連圏で生活していたことがあるのか、ずっと西ヨーロッパで生きてきたのかはわからないが、このようなブルジョア学者に、上のようなことを言っても、馬の耳に念仏、蛙の面に小便であるにはちがいない。

 たとえそうではあるとしても、マルクスの『資本論』を学ぶことを意志するわれわれは、プロレタリアートがこの資本制生産様式をその根底から転覆することをとおして創造する社会が共産主義社会である、ということ、いや、この現実を変革する運動が共産主義である、ということを、声を大にして言わないわけにはいかない。レーニン死後にソ連を支配した指導者たちやかつての中国の指導者たちがおのれのイデオロギー的支柱としてきたのは、マルクスマルクス主義なのではなく、マルクス主義スターリンが歪曲したところのもの、すなわちスターリン主義なのである。