『資本主義だけが残った』――新たな反『資本論』宣伝

『資本主義だけ残った』――新たな反『資本論』宣伝

 

 

 読売新聞の読書欄に、ブランコ・ミラノヴィッチ著『資本主義だけが残った』(みすず書房)という本が紹介されている(10月17日朝刊)。

 著者は、現状を、「リベラル能力資本主義」と「政治的資本主義」という米中の二つのタイプの資本主義の競争の時代だ、というのだそうである。これだけであるのならば、どうってことはないのであるが、見逃せないのは、評者の中央大教授・瀧澤弘和によって、次のように紹介されていることがらである。

 「著者によれば、共産主義は、植民地化された後進国が封建主義を脱し、政治的独立を回復して固有の資本主義を構築することを可能にするシステムなのだ。」

 評者がこの著書の内容を歪曲しなければならない理由は見つからないから、この本でこのように展開されているのだ、と言ってよいであろう。

 この著者であるミラノヴィッチは、現実肯定主義と解釈主義の立場にたって、二一世紀現代世界を解釈しているのである。

 この人物は、かつての中国を「共産主義」であったというようにアプリオリ(先験的)にみなし、今日の中国の資本主義をもたらしたところのものが「共産主義」なのだ、というように解釈しているのである。いやしくも「共産主義」について語るのであるならば、マルクスの『資本論』と彼のプロレタリアートの自己解放の理論についてなにがしかであれふりかえることが必要なのであるが、そのような学問的良心のひとかけらもないのが、この人物なのである。

 ルクセンブルク所得研究センター上級研究員という肩書をもつこの人物は、旧ソ連ないしソ連圏で生活していたことがあるのか、ずっと西ヨーロッパで生きてきたのかはわからないが、このようなブルジョア学者に、上のようなことを言っても、馬の耳に念仏、蛙の面に小便であるにはちがいない。

 たとえそうではあるとしても、マルクスの『資本論』を学ぶことを意志するわれわれは、プロレタリアートがこの資本制生産様式をその根底から転覆することをとおして創造する社会が共産主義社会である、ということ、いや、この現実を変革する運動が共産主義である、ということを、声を大にして言わないわけにはいかない。レーニン死後にソ連を支配した指導者たちやかつての中国の指導者たちがおのれのイデオロギー的支柱としてきたのは、マルクスマルクス主義なのではなく、マルクス主義スターリンが歪曲したところのもの、すなわちスターリン主義なのである。