マルクスが『資本論』で明らかにしている「実体」の規定
マルクスは次のように書いている。
「さて吾々は、労働諸生産物の右の残りものを考察しよう。それらになお残っているのは、幻のような同じ対象性に外ならず、無区別な人間的労働の・すなわちその支出の形態に係わりのない人間的労働力の支出の・単なる凝結に他ならない。これらの物は、もはや、それらの生産において人間的労働力が支出され、人間的労働が堆積している、ということを表示するにすぎない。これらの物は、それらに共通なかかる社会的実体の結晶としては、諸価値——諸商品価値である。」(長谷部文雄訳『資本論』第一部、青木書店、119頁)
ここで、社会的実体は、無区別な人間的労働、すなわち抽象的人間労働をさす。そして、マルクスは、諸商品価値を、このような社会的実体の結晶として、すなわち抽象的人間労働の凝結・堆積・結晶として規定しているのである。
ここで「実体」という概念に「社会的」という規定が冠せられているのは、諸商品は使用価値としては、人間が使用し消費するのに有用な自然的属性が問題であるのにたいして、諸商品価値は、諸生産物の社会的性質をあらわすのであり、諸生産物の社会的諸関係を体現するのだということ、だから、諸商品の価値を価値たらしめる実体は、社会的なものである、ということを明らかにするためである、といえる。
そしてまた、マルクスは、諸商品に対象化されているところの労働の一規定を考察しているのだ、ということをしめすために、「人間的労働力の支出の・単なる凝結」「人間的労働が堆積」「社会的実体の結晶」というように、「凝結」「堆積」「結晶」という規定をもちいているのだ、といえる。逆にいうならば、抽象的人間労働という規定は、凝結・堆積・結晶するところの労働を、すなわち労働者が労働しているところの労働をあらわす、ということである。マルクスは、労働者が労働している労働を、すなわち生きた労働を労働と規定しているのであり、対象化された労働(『経済学批判』においてこの概念を多くもちいて捉えたところのもの)にかんしては、この生きた労働の凝結・堆積・結晶というように規定しているのだ、といわなければならない。
マルクスは、この引用文の前に、以上のことをみちびきだすために、次のような推論をおこなっている。
ある量の商品が何らかの量の他の種類の商品と交換されうるとする。すなわち、両者はひとしい。等置されている。そうすると、この二商品は、使用価値としては種類が異なるのであるからして、両者が同一であるのは、労働生産物であるという属性においてだけである。しかし、この二商品が労働生産物としてひとしいということは、これらの商品のそれぞれにふくまれている労働そのものが等置されているということであって、等置された労働は、その労働の種類のちがいは消失し、ともにまったく違いのない抽象的人間労働となっているのである。
マルクスはこのように推論して、この抽象的人間労働を社会的実体と規定し、これらの労働生産物は、この社会的実体の結晶としては、価値である、というように、商品の価値を明らかにしたのである。
このように、マルクスは、商品を商品たらしめているものとして、それを規定している実体をつかみとり、この実体の把握を基礎にして、商品の価値はいったい何であるのか、ということを解明したのだ、といえる。
このような考察にもとづいて、実体は、或るものをそのようなものたらしめているところの・それをその根底から規定するものである、ということができる。もちろん、マルクスがここでおこなった推論は、直接的現実からの下向的分析ではない。資本制生産の直接的現実を出発点にして・それを下向的に分析することをとおしてつかみとった資本制生産様式の原基形態たる商品、この商品の内的構造を分析的に明らかにしたものが、マルクスのこの推論なのである。マルクスは、直接的現実からの下向的な分析にかんしては、これをすでにおこなっていたのである。
われわれは、直接的現実をどのように下向的に分析するのか、ということにかんしては、別に考察しなければならない。
ここでは、実体とはどのような概念であるのか、ということをみたのである。
マルクスは、あくなき探究心を貫徹して、『資本論』の初版から第二版(現行版)へと、価値の実体をなす労働について、よりいっそうほりさげたのであった。
以下の第二版からの引用文のなかの〈 〉内の部分は、初版では単に〈ところが、価値を形成するものとして計算にはいってくるのは、社会的に必要な労働時間にかぎられる。〉となっていたところのものを加筆したものなのである。
「もし一商品の価値が、その商品の生産中に支出される労働の分量によって規定されているとすれば、ある人が怠惰であるか不熟練であればあるほど、彼はその商品の仕上げにそれだけ多くの時間を要するというわけで、彼の商品はそれだけ価値が多いかに見えもしよう。〈けれども、諸価値の実体をなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である。商品世界の諸価値で表示される社会の総労働力は、無数の個人的諸労働力から成立っているとはいえ、このばあいには一個同一の人間的労働力として意義をもつ。これらの個人的な諸労働力は、いずれも、それが社会的な平均労働力たる性格をおび、かかる社会的な平均労働力として作用し、したがってまた、一商品の生産において平均的に必要な・または社会的に必要な・労働時間を要するにすぎぬ限りは、他と同じ人間的労働力である。〉社会的に必要は労働時間とは、現存の社会的・標準的な生産諸条件と労働の熟練および強度の社会的な平均度とをもって、何らかの使用価値を生産するために必要とされる労働時間である。」(長谷部文雄訳、青木書店版、119~120頁。下線は原文では傍点)