〔18〕 直接的生産過程の分析にたちもどる――生きた労働の二面的性格

 〔18〕 直接的生産過程の分析にたちもどる――生きた労働の二面的性格

 

 われわれは、『資本論』の最初に展開されている商品の諸規定について学んできた。ここで、その前に学習したところの、直接的生産過程の分析にたちもどろう。

 われわれは、商品の二要因たる使用価値と価値について、そして商品に含まれている労働の二重性格、すなわち具体的有用労働と抽象的人間労働について、つかみとったことからして、この把握にふまえて、直接的生産過程の諸規定についてより深く学ぶことができる。

 資本の直接的生産過程は、労働過程と価値増殖過程との直接的統一をなすのであった。

 この直接的生産過程について、マルクスは、『資本論』の第一巻第四篇第六章の「不変資本と可変資本」において、さらに次のように論じている。

 「労働過程の相異なる諸要因は、生産物価値の形成に相異なる関与をなす。

 労働者は、彼の労働の一定の内容・目的・および技術的性格のいかんに拘わらず、ある一定分量の労働を附加することにより、労働対象に新たな価値を附加する。他方において、吾々は、消耗された生産諸手段の価値を生産物の価値の構成部分として、――たとえば棉花と紡錘との価値を糸価値のうちに、――ふたたび見出す。かくして、生産手段の価値は生産物へのそれの移譲によって維持される。この移譲は、生産手段の生産物への転形中に,すなわち労働過程において行われる。それは労働によって媒介されている。では、如何にしてであるか?

 労働者は同じ時に二重に労働するのではない。……労働対象への新価値の附加と生産物における旧価値の維持とは、労働者が同じ時には一度しか労働しないにも拘わらず同じ時に生ぜしめる二つの全く相異なる成果であるから、成果のこの二重性は、明らかに、彼の労働そのものの二重性からのみ説明されうる。同じ時点において、彼の労働は、一の属性では価値を創造し、他の属性では価値を維持または移譲しなければならぬ。

 ……労働者が消費された生産手段の価値を維持するのは、または、それを価値構成部分として生産物に移譲するのは、彼が労働一般を附加することによってではなく、この附加的労働の特殊的・有用的性格によってであり、その独自的・生産的形態によってである。かかる合目的的な生産的活動――紡績・機織り・鍛冶――としては、労働は、それの単なる接触によって諸生産手段を死から蘇生させ、それらを鼓舞して労働過程の諸要因たらしめ、それらと結合して諸生産物となるのである。

 ……彼が彼の労働によって価値を附加するのは、その労働が紡績労働または指物労働であるかぎりにおいてではなく、それが抽象的・社会的な労働一般であるかぎりにおいてであり、また彼が一定の大いさの価値を附加するのは、彼の労働がある特殊的・有用的な内容を有するからではなく、それが一定の時間つづけられるからである。だから紡績工の労働は、それの抽象的・一般的属性においては、人間的労働力の支出としては、棉花と紡錘との価値に新価値を附加するのであり、紡績過程としてのそれの具体的・特殊的・有用的属性においては、それは、これらの生産手段の価値を生産物に移譲し、かくして、それらの価値を生産物において維持する。同じ時間における労働の成果の二面性はこうして生ずるのである。

 労働の単に量的な附加によって新価値が附加され、附加された労働の質によって生産手段の旧価値が生産物において維持される。同じ労働の――それの二面的性格の結果たる――この二面的作用は、種々の現象のうえに手にとるように現れる。」(『資本論』青木書店版、長谷部文雄訳、三六一~六三頁)

 ここで、資本の直接的生産過程における労働の二面的性格、すなわち、この労働の具体的・特殊的・有用的属性と、この労働の抽象的・一般的属性とは、〈質と量〉という対概念によって規定されている。「労働の単に量的な附加」と「附加された労働の質」というように、である。

 ここに言う労働の二面的性格については、これを、われわれは『資本論』の第一章の第二節で論じられた労働の二重性――すなわち、商品で表示される労働は具体的有用労働と抽象的人間労働との二重性格をもつということ――と明確に区別してつかみとらなければならない。

 なぜなら、後者は、商品に対象化された労働=商品に含まれている労働=商品で表示される労働の規定であるのにたいして、前者は、直接的生産過程において労働力の対象化として、いままさに対象化されつつあるところの労働、この生きた労働の規定なのだからである。

 いいかえるならば、後者は、他の商品と関係をとりむすんでいる商品、すなわち、生産された結果としてすでに現存在しているところの商品、この商品を分析するという商品論に位置する規定であるのにたいして、前者は、商品を生産する過程を過程的にあきらかにするという資本の生産過程論に位置する規定である、というように、両者は『資本論』体系における位置が異なるのである。この体系上の位置の相違ということを、われわれは明確におさえなければならないのである。

 われわれは、このような、生きた労働の二重性を把握することを基礎にして、不変資本および可変資本の規定をつかみとらなければならない。

 資本の直接的生産過程における客体的契機をなす生産手段と、その主体的契機をなす生きた労働とは、資本の定有をなす。

 資本のうち、直接的生産過程において生産手段という姿態をとるところのものが不変資本と規定され、生きた労働という姿態をとるところのものが可変資本という規定をうけとるのである。あるいは、投下資本との関係において把握するならば、資本のうち生産手段に転態するものが不変資本と規定され、生きた労働に転態するものが可変資本と規定される、というように言うことができる。