〔17〕 商品A=商品B――価値鏡

 〔17〕 商品A=商品B――価値鏡

 

 

 「x商品A=y商品B すなわち、x量の商品Aはy量の商品Bに値する。」(長谷部訳、青木書店版、一三四頁)

 「あらゆる価値形態の秘密は、この簡単な価値形態のうちに潜んでいる。だから、これの分析は本来的な困難を呈する。」(同前)

 マルクスはこう読者をおどす。『資本論』を学ぶわれわれはこの困難をひきうけなければならない。

 商品Aは商品Bをみずからに等置する。こうすることによって、商品Aはみずからの価値を商品Bで表現する。商品Bは商品Aの価値鏡となる。すなわち、商品Bの体そのものが、つまり商品Bの使用価値が、この価値表現の材料となるのである。

 第一の商品は能動的役割を演じるのであり、この商品は相対的価値形態にあると規定され、第二の商品は受動的役割を演じるのであり、この商品は等価形態にあると規定される。

 二つの商品の価値関係のうちには次のことが潜んでいる。

 商品Aが商品Bをみずからに等置することによって、二商品の使用価値の種類の相違が消失し、価値として等質なものとなる、とともに、これらの商品にふくまれている労働の種類の相違が消失し、質的に等しいものとなる。このように、商品Aが商品Bをみずからに等置することによって、商品Aの自然的形態と区別されるそれの価値存在が現出するのであり、これと同時に、商品Bが価値の実存形態として意義をもつのである。このようにして、前者の商品の価値が後者の商品の体で表現されるのである。

 これが、価値関係の質的側面の考察なのであり、このような質的側面の分析に立脚してその量的側面を・すなわち・等置された二商品の量的な比率の問題を、明らかにしなければならない、とマルクスはのべているのである。

 マルクスは言う。

 「かくして、価値関係に媒介されて、商品Bの自然的形態が商品Aの価値形態となる。あるいは、商品Bの体(からだ)が商品Aの価値鏡となる。商品Aは、価値体としての・人間的労働の物質化(マテリアツール)としての・商品Bに連関することによって、使用価値Bをば、それ自身の価値表現の材料たらしめる。商品Aの価値は、かように商品Bの使用価値で表現されることによって、相対的価値の形態をとるのである。」(一四一頁)

 これが、かの有名な「価値鏡」のくだりである。

 こうして、商品の使用価値と価値との内的対立は、次のような外的対立としてあらわれる、ということを、マルクスは明らかにしている。

 「商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を立入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然的形態は使用価値の姿態としてのみ意義をもち、商品Bの自然的形態は価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ、ということが分かった。かくして、商品のうちに包みこまれている使用価値と価値との内的対立は、一の外的対立によって、すなわち二つの商品の関係――そこでは、それの価値が表現されるべき一方の商品は直接には使用価値としてのみ意義をもち、それで価値が表現される他方の商品はこれに反して直接には交換価値としてのみ意義をもつところの、二つの商品の関係――によって、表示される。かくして、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態である。」(一五五頁)

 価値形態の論理的発展・すなわち・貨幣の論理的発生史にかんするマルクスの解明を理解するためには、以上のその出発点の考察をつかみとることが肝要なのである。