〔10〕 『資本論』の冒頭にもどる――商品

 〔10〕 『資本論』の冒頭にもどる――商品

 

 

 資本が賃労働をどのようにして搾取するのかということの基本的な構造をみたうえで、『資本論』の冒頭にもどる。

 私がこのような順番で論じてきたのは、私のこの文章を読んでくれる若者たちとすべての人たちに、今日の現存する資本主義社会に怒りをもやして『資本論』を読もう、と呼びかけるためである。自分自身がどのようなパトスと意欲と発条をもってこの本を読むのかというように、自分自身をみつめてほしいからである。現代に生き苦悩するすべての人たちが、おのれは何であり何であるべきか、と自分自身を問うことを、私は望むからである。

 『資本論』は次の文章ではじまっている。

 「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は一の『尨大な商品集聚』として現象し、個々の商品はかかる富の原基形態として現象する。だから、吾々の研究は商品の分析をもって始まる。」(長谷部文雄訳、青木書店版、一一三頁)

 この部分は、『資本論』すなわち資本制経済学という学の始元をなす。このゆえに、ここに言う商品は始元的商品と呼ばれる。

 この商品は、直接的には労働力商品をさし、媒介的には、労働力商品の担い手にまで疎外された労働者が生産した商品である資本制商品をさす。

 このことは次のことにもとづく。

 マルクスは、一九世紀中葉の資本主義的現実に対決し、この資本主義を分析したのである。彼は、当時の直接的現実を出発点にして、これを下向的に分析し、この現実を規定している本質的なもの=根源的なものをつかみとり、この分析的下向の終局を同時に上向的=存在論的な展開の出発点として措定したのである。これが学の始元である。この始元を出発点として、彼は、下向的分析をつうじてつかみとったところのものを上向的=存在論的に叙述したのであり、これが『資本論』という学の体系として開示されたのである。

 まさにこのゆえに、マルクスが遂行した資本主義的現実からの下向的分析を背後にもつところのものが、学の始元をなす商品なのである。

 このように、われわれは、『資本論』の冒頭の展開を、実践=認識主体たるマルクスがどのように思惟したのかを省察することを基礎にして考察することが肝要なのである。