〔9〕 人間生活の永遠的な自然条件としての労働過程

 〔9〕 人間生活の永遠的な自然条件としての労働過程

 

 

 マルクスは『資本論』第一巻第三篇第五章の第一節において、労働過程の諸規定を明らかにしている。この節の最初の一パラグラフと最後の部分を取り去るならば、その論述は労働過程一般の諸規定を明らかにしたものである。

 すなわち、資本の労働過程から歴史的=階級的な規定性を捨象してつかみとられるところの労働過程の本質形態・つまり人間社会の本質形態における労働過程・の諸規定がここで論じられているのである。

 さらには、次のようにいえる。

 資本の直接的生産過程から歴史的=階級的な規定性を捨象する。こうすることによって、人間社会の本質形態における社会的生産過程、すなわち社会的生産過程の本質形態がつかみとられる。この社会的生産過程の本質形態から社会的側面を捨象することによって、社会的生産過程の自然的側面、すなわち社会的労働過程がつかみとられる。この社会的労働過程は、疎外されざる共同体ないし共同社会が外的自然に働きかけこれを変革するという共同的労働過程をなす。この共同的労働過程は、技術学的には協同的労働過程と規定される。共同体ないし共同社会の自覚的担い手であるその諸成員は、みずから労働組織を編成し異種的および異質的な諸労働を協同的に遂行するからである。(将来の共同社会の諸成員は、多様性をもった質的に高度なみずからの労働力を自然物に主体的にかつ協同的に対象化するのである。)

 この社会的労働過程から社会性までをも捨象することによって、労働過程一般、すなわち〈全=個〉としての人間が遂行する労働過程がつかみとられるのである。

 マルクスはこのような労働過程を「人間生活の永遠的な自然条件」と規定し、その諸規定を『資本論』第一巻第三篇第五章第一節において論述しているのである。

 マルクスは資本制生産を本質論的に分析するための研究と思索において、労働過程の本質形態の諸規定を、すなわち人間生活の永遠的な自然条件をなす労働過程はどのようなものであるのかということを、はじめて明らかにしたのであった。そうであるがゆえに、マルクスは当然にも、このような労働過程の諸規定についての論述を、『資本論』の体系的な叙述のなかに位置づけくみこんだのである。彼は、資本の直接的生産過程の自然的側面をなす労働過程、すなわち資本の労働過程は、そのような本質形態をなす労働過程の資本制的疎外形態であることをしめすために、その本質形態の諸規定の論述の最初と最後に、資本の労働過程固有の諸規定を明らかにする文章を位置づけたのだ、とわれわれは捉えることができる。

 したがって、われわれは、資本の労働過程、すなわち、価値増殖過程と統一されている労働過程と、労働過程一般、すなわち労働過程の本質形態とを明確に区別して把握しなければならない。

 図解しながら考察するならば、次のようにいえる。

 資本の直接的生産過程を とおく。ゴシックの と記号的に表現するのは、それが独自の形態をとっていることをあらわすためである。

 資本の直接的生産過程 は、労働過程 正′と価値増殖過程 反 との直接的統一をなす。

 労働過程一般、すなわち労働過程の本質形態を 正 とおく。

 この労働過程一般すなわち 正 と、資本の直接的生産過程の自然的側面をなす労働過程、価値増殖過程と統一されている労働過程、すなわち 正′とを明白に区別し、 正′は 正 の資本制的疎外形態であることを把握しなければならない。 正 は普遍的本質であるのにたいして、 正′は、資本の直接的生産過程という形態の本質、すなわち特殊的本質をなすということができる。

  合 は、資本制的疎外を止揚した労働過程、すなわち将来の共同社会における労働過程をあらわすのである。

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