〔14〕 商品の価値の大いさ

 〔14〕 商品の価値の大いさ

 

 

 ある商品が他の商品をみずからに等置することによって、これらに対象化されている労働の有用的性格は消失し、これらの労働は等質なものとなる、すなわち価値の実体として抽象的人間労働という規定をうけとる、とともに、それぞれの商品に対象化されている労働の量すなわち抽象的人間労働の量は等しいものとして措定される。

 このような考察に立脚して、マルクスは次のように規定している。

 「ある使用価値の価値の大いさを規定するものは、社会的に必要な労働の分量、または、その使用価値の生産のために社会的に必要な労働時間に他ならない。」(長谷部訳、青木書店版、一二〇頁)

 商品の価値の大いさは、この商品を生産するために必要な労働時間によって決定される、というこの規定は価値法則と呼ばれる。

 マルクスは、自分が書いた『経済学批判』から次の言葉を引用している。

 「価値としては、すべての商品は、一定分量の凝固した労働時間に他ならない。」

 私は、この「凝固した労働時間」という表現は、イメージがわく! と感じるのである。マルクス自身、読者である労働者にイメージをわかせるのにこの表現がうってつけだ、とおもって自分の本から引用したのではないか、と私には感じられるのである。

 これは、商品のうちに凝固した労働時間が交換関係を媒介として価値という規定をうけとる、ということにほかならない。

 このことを、その物質的基礎をなすところの商品を生産する過程との関係において捉えかえすならば、「社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的・標準的な生産諸条件と労働の熟練および強度の社会的な平均度とをもって、何らかの使用価値を生産するために必要とされる労働時間である」(同前)、と言える。

 「現存の社会的・標準的な生産諸条件と労働の熟練および強度の社会的な平均度とをもって」というのは、この価値の規定は、資本制経済の普遍的本質論という理論的レベルにおいて、すなわち〈総資本=総労働〉という抽象のレベルにおいて明らかにしているものである、ということを、マルクスが言いあらわしたものなのである。