〔12〕 使用価値をゴジラ化して捉える誤謬――商品の使用価値と使用価値としての使用価値

 〔12〕 使用価値をゴジラ化して捉える誤謬――商品の使用価値と使用価値としての使用価値

 

 

 マルクスは使用価値について次のように書いている。

 「使用価値は、使用または消費においてのみ、みずからを実現する。諸使用価値は、富の――その社会的形態がどうあろうとも――質料的内容をなす。吾々によって考察されるべき社会形態においては、それは同時に、交換価値の質料的担い手をなす。」(長谷部訳、青木書店版、一一五頁)

 ここにおいて、マルクスは、富の社会形態を捨象してつかみとられるところの使用価値と、資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会すなわち資本主義社会における使用価値とを区別すべきことを明らかにしているのであり、後者を交換価値の質料的担い手をなす、というように規定しているのである。

 ところが、かつて、スターリンを信奉する人たち、すなわちスターリン主義者は、マルクスのこの論理的把握を論理的につかみとることができずに、次のように考えた。

 使用価値は、商品にも、商品ではない生産物にも、共通なものである、すなわちあらゆる社会に共通なものである。商品のばあいには、あらゆる社会に共通なものである使用価値に価値という形態規定が付け加わっているのである。いいかえれば、商品から価値という形態規定を取り去れば、使用価値というあらゆる社会に共通なものがえられるのである。――このように考えたのである。

 これは、さまざまな社会形態から共通なものを抽出するという考え方にもとづくものである。この考え方は、現実的なものを抽象して本質的なものをつかみとるという論理的な頭のまわし方、すなわち現実的なものから個別的および特殊的の諸契機を捨象して普遍的なものをつかみとるという論理的な分析の方法を、さまざまな現実的な諸形態からそれらに共通するものをとりだす、という単純な振り分けの論理、つまり共通するものと共通でないものとをふりわけるという論理に歪曲したものなのである。

 いいかえるならば、スターリン主義者のつかみ方は、使用価値を歴史貫通的なものとみなし、この使用価値に価値という衣がかぶさっている、というように捉えるものなのである。それは、使用価値を金太郎飴の金太郎のようにイメージするものだ、ということである。使用価値を歴史貫通的に捉えることを、使用価値を超歴史化して捉える、超階級化して捉える、というように呼称して、われわれはその克服をめざしてきたのである。このような超歴史的な捉え方は、映画の世界で、かつての恐竜を現代にゴジラとして蘇らせるようなものである。あるいは、巨大化した蛾の幼虫を現代にモスラとして登場させるようなものである。われわれはこのようなイメージをわかせて、この誤謬を、使用価値をゴジラ化して捉えるものである、使用価値をモスラ化して捉えるものである、というように呼んできたのである。

 この捉え方の論理的誤謬を、本質的なもの=一般的なものとそれが特殊的な諸条件のもとでとる現実形態との関係の論理的なつかみ方としてはどのように誤っているのか、というように考察するならば、次のようにいえる。

 ここで、人間生活の永遠的な自然条件としての労働過程すなわち労働過程一般と、直接的生産過程の一契機としての労働過程すなわち資本の労働過程との関係をつかみとるために私が提示した図解(この図解は黒田寛一が明らかにしたものであるが)を思い起こしてほしい。正―(反―正′)―合という図解である。

 資本主義社会における商品をゴシックの とおく。この商品 は使用価値と価値との直接的統一をなす。この使用価値を 正′ 、価値を 反 と記号的に表現することができる。この使用価値は商品 の一契機としての使用価値 正′ なのであり、価値 反 と統一された使用価値 正′ である。これが、吾々が考察すべき社会形態においては、使用価値は交換価値の質料的担い手をなす、というように、マルクスが明らかにしたところのものである。

 資本主義社会からその歴史的=階級的な規定性を捨象してつかみとられるところの社会の本質形態、この社会の本質形態における使用価値は、使用価値としての使用価値、すなわち使用価値一般と規定することができる。あるいは次のように言ってもよい。資本制商品からその歴史的=階級的な規定性を捨象するならば、生産物一般という規定がつかみとられる。この生産物一般は、使用価値としての使用価値、すなわち使用価値一般と規定することができる、ということである。

 この使用価値としての使用価値、すなわち使用価値一般は、この図解における 正 というように位置づけられなければならない。

 このように、われわれは、使用価値としての使用価値、すなわち使用価値一般 正 と、商品 の一契機としての使用価値 正′ 、価値 反 と統一されている使用価値 正′ 、つまり価値 反 の質料的担い手をなす使用価値 正′ とを明確に区別して把握することが必要なのである。

 スターリン主義者は、この使用価値一般 正 と、商品の使用価値 正′ とを、あらゆる社会に共通なものとして同一視してしまったのである。われわれは、このような共通性の論理を、この平板なつかみ方を、克服することが肝要なのである。

 

f:id:X2417:20210811161245j:plain