「未来の国家像」——これが、ブルジョア・イデオロギーだ!
きょう10月20日の読売新聞の「編集手帳」に次のような文章がある。
<石破首相は国会の熟議を経て解散するとした総裁選の言を翻し、野党はそれへの批判に加え、「裏金」の大合唱である。選挙向けの党利党略が透けるようで、腑(ふ)に落ちない有権者もいるだろう。公約を見比べても未来の国家像は結びにくい🔷地元候補者の声にじっくり耳を傾けたい。物価高と伸びない給料、停滞する災害復興、少子高齢化に人口減…目の前にある生活の問題をどう解決していくつもりなのか、政治家の地力を見極める選挙サンデーにしたい>
石破首相にも野党にも物申す装いを凝らしながら「未来の国家像」にもっていく——これぞ、日本の独占資本家どもの意を体した読売新聞首脳部の垂れ流すブルジョア・イデオロギーである。なぜなら、「未来の国家像」というかたちで、国家なるものを至上の価値あるものとして押し出しているのだからである。
現存する国家は、資本家階級と労働者階級との階級的対立を物質的基礎にして、資本家階級が労働者階級を支配するために、みずからの階級的な特殊利害を「共同利害」として、すなわち社会のすべての成員の共同の利害であるかのように見せかけて、社会全体に妥当させ、これを物質化したものである。したがって、この「共同利害」は幻想的なものであり、「幻想的な共同性」にほかならないのであって、これが、現存する国家の本質なのである。
労働者たちをだますために、このような現存国家が未来永劫つづくものとして前提にして、その未来像を考えるように、労働者たちにしむけているのが、日本独占ブルジョアジーの代弁者・読売新聞首脳部なのである。
みんな、だまされてはならない。
われわれは、このようなブルジョア国家を打倒し、プロレタリアート(労働者階級)の利害を貫徹した国家をうちたてなければならない。そして階級そのものを廃絶しなければならない。階級がなくなるとともに、このようなプロレタリア国家もまた死滅する。われわれは、階級がなく・国家のない、したがって政治というものがない共同社会を創造し建設するのである。この共同社会の基礎となるのが、政治的性格をなくしたソビエト(労働者協議会)なのである。
われわれが、機が熟したときに一気に創造することを意志しているソビエト(労働者評議会)とは、まさに、このような歴史的使命を帯びたものなのである。
きょうの日曜日を——出勤の労働者も多いと思うのであるが——、どうしようもない政治家どもの地力を見極めるなどという・徒労の選挙サンデーなるものにするのではなく、労働者階級の未来を、われわれの目的として構想し、われわれの意志をしっかりとうちかためる日にしよう!