〔7〕 論理的なものと歴史的なもの

 〔7〕 論理的なものと歴史的なもの

 

 

 貨幣の資本への転化は流通界においておこなわれるのであり、かつ流通界においておこなわれるのではない。この論理的把握は資本発生の弁証法と呼ばれる。これは、貨幣から資本がどのようにしてうみだされるのかということの論理的把握である。

 人間の歴史の発展の過程をふりかえるならば、資本は、イギリスにおけるエンクロージャー運動に典型的にしめされたところの、直接的生産者から生産諸手段を収奪する歴史的な過程をとおしてうみだされたわけである。マルクスは、この歴史的過程を資本の根源的蓄積過程として分析しあばきだしたのである。

 マルクスは、前者の・貨幣の資本への転化の論理的把握にかんしては、『資本論』の第一巻第二編第四章において展開しており、後者の・資本の根源的蓄積過程にかんしては、第一巻の第六編第二四章で叙述しているのである。

 『資本論』は、この資本主義社会において完全に疎外されている存在たるプロレタリアにとっては、自分自身の自覚内容の対象化として意義をもつ。

 プロレタリアであるわれわれは、自分自身がみずからの労働力を商品として売る以外にない存在であることを自覚し、このような存在である自分たちプロレタリアはどのようにしてうみだされたのかというように、おのれをつくりだした歴史的根源を把握しなければならない。これが歴史的反省である。これを、われわれは、『資本論』の第二四章の資本の根源的蓄積過程の分析を学ぶことをとおして実現するのである。

 プロレタリアであるわれわれは、自分が、国家権力の暴力によって直接的生産者から生産諸手段が収奪されたことをとおして――この生産諸手段が資本として集中されたことの他面において――うみだされたのであることを自覚し、資本の人格化たる資本家、この資本家の階級からすべての生産諸手段を収奪することを基礎にして人間労働の資本制的疎外を廃絶することをおのれ自身の歴史的使命とするのである。