仕事が速くやれるようになるとどうなるか?

 技能の習得とその諸結果

 

 大学生のみなさんがバイトをやると、その仕事をおぼえなければならない。そして速くできるようにならなければならない。そうでないと、仕事ができない人と烙印されいじめられ、やめるようにしむけられてしまう。しかし他面、仕事が速くできるようになることがいいことであるとはかぎらない。

 老人ホームの夜の皿洗い・翌朝の準備の仕事では、仕事が全部終わると、タブレットにタッチしてその時刻を記録させ、厨房の鍵を閉めて帰る。時給は15分刻みで計算される。これは違法なのだが、労働者の力が弱く、そうされてしまっている。夜の8時44分にタッチすると、8時30分まで労働した、としか計算されない。45分を過ぎてからタッチするとようやく、45分まで労働した、と計算される。この15分刻みということを覚えておいてほしい。

 採用されて最初の日は、仕事を教えてくれる人が入って三人でやっても、終わるのは9時30分を過ぎてしまう。一応仕事のやり方を覚えて二人でやりだすと、だいたい9時過ぎ終わりとなる。管理者は、パートの契約の終了時刻である8時30分に終われ、とやいやい言ってくる。

 洗いにかんしては、お粥を入れてあったプラスチックのどんぶり鉢よりも先に味噌汁のお椀を洗い、どんぶり鉢をできるだけ長く湯につけておくことが肝要だ。(右利きとして)左手で食器をつかむとき、泡立っている湯のなかの味噌汁のお椀を一瞬にして見分けなければならない。どんぶり鉢を洗うときには、左手でどんぶり鉢の同じところを持ちつづけるのではなく、途中で指をさっと動かして持ち変えなければならない。そうでないと右手のスポンジをどんぶりの内側にまんべんなく当てることができず洗い残しがでてしまうのだ。

 このような技能に習熟すると、仕事が速くなり、終了時刻が早くなる。

 だが、だが、だが、……。そうすると、管理者はにこやかな顔になるけれども、時給というかたちで支払われる賃金は減ってしまうのだ。管理者がガミガミいう声を全身に浴びることに耐えつづけるのか、それとも、管理者の顔をほころばせるために賃金が減るのを我慢するのか。

 このようなことにさいなまれるのは、マルクスが『資本論』で、搾取のもっとも過酷な形態とあばきだした出来高払い賃金(個数賃金)という賃金支払いの形態と同じだ。資本家は、労働者が仕事に習熟してより多くの個数をつくれるようになると、一個当たりの賃金額を減らしてしまうのだ。労働者は、同じ労働者仲間がより多くのものをつくれるようになるとそれだけ自分の賃金が減ってしまうのだ。労働者は、仲間を蹴落としあい、自分で自分の首を絞めることを強要されるのだ。

 これと同じだ。私が仕事を速くやると、管理者の・年老いたおばちゃんへの風当たりが強くなる。私がその人の仕事を手伝って終了時刻を早くすると、二人ともども時給の賃金が減ってしまう。仕事を無理して早くやって、8時44分にタブレットにふれるのか、それとも、そんな無理はせず8時46分にタッチするのか、これが問題だ。

 苦しい生活に甘んじて、次の契約更新時に自分の契約が更新されることを望むのか、それとも、少しでもましな生活を望んで、危ない橋を渡るのか、これが問題だ。

 新入生のみなさん。君といっしょに働いている・あるいは・君といっしょに働くことになるパ-トの労働者は、このような状況に追いこまれているのだ。バイトで働いている君も、同じ賃金労働者なのだ。