バイトの労働とは?

 疎外された労働

 

 大学に入学したみなさん!

 バイトをやることを予定していますか。高校生のときにバイトをやったことがありますか。

 たとえば、ホテルやレストランの皿洗いとか。

 この労働とはどのようなものでしょうか。この労働はいまの資本主義社会における労働です。

 ここでは、私がやってきた老人ホームでの皿洗いの労働をとりあげましょう。

 老人ホームでの給食業務の夕食後の仕事は、皿洗いと翌朝のためのワゴンの準備だ。入所者が100人ぐらいの施設で、この仕事への人員配置は二人だ。一人が洗浄機で皿洗いをやり、もう一人がワゴンにお盆を並べ食札を置き食器を準備する。

 ワゴンにのっかって下がってきた食器を、湯を入れたシンクのなかに入れると山のように積みあがる。これを洗って洗浄機にかけ、でてきたのをスチール製のかごに入れ乾燥機にぶち込む。これを一人でやるのだ。

 プラスチックのどんぶり鉢には、ミキサーにかけとろみ剤を入れたお粥が半分以上残ってベタッとくっついている。これをきれいにスポンジで洗っておかないことには、洗浄機にかけてもそのまま残ってでてくる。プラスチックでできた主菜用の食器も同様だ。

 洗浄機も食器も施設経営者の所有物である。われわれ労働者の所有物ではない。われわれ労働者は自分の労働力しかもっていない。自分がスポンジで食器を洗い洗浄機にかけているつもりでも、立場が逆転してくる。洗浄機と食器が「洗え」と私に労働を強制してくるのだ。どんぶり鉢があたかも意志をもっているかのように、「お粥がまだついているぞ、とれ」と私に命令し、必死で手を動かすことを強要してくるのだ。

 こちらの感性もおかしくなってくる。入所者である年老いた人たちのために洗っているつもりでも、「なんでこんなに汚く食うんだ」という気持ちになってくる。同じ労働者であり連帯するつもりであっても、介護士たちにたいして、「なんでこんな食べ残しをバケツに捨てておいてくれないんだ」という気持ちになってくる。ああ、私の人間性が失われていく!! ……

 だから、マルクスは、われわれ労働者の労働を「疎外された労働」とあばきだしたのだ。これが、マルクスの言う資本制的物化なのだ。死んだ労働たる生産手段が資本として労働者の生き血を吸って自己増殖する、ということなんだ。われわれの労働とはこのようなものなのだ。