必要労働と剰余労働にかんするマルクスの規定
マルクスは次のように書いている。
「……新たに創造された価値により投下可変資本の価値だけを填補するのであるから、価値のこの生産は単なる再生産として現象する。だから、私は、労働日のうち、この再生産が行われる部分を必要労働時間と名づけ、この時間中に支出される労働を必要労働と名づける」(長谷部文雄訳『資本論』青木書店版、第一部、384頁)
「労働者が必要労働の限界をこえて苦役する労働過程の第二期は、彼の労働・労働力の支出・を要費するが、彼のためには何らの価値も形成しない。それは、無からの創造の全魅力をもって資本家を惹きつける剰余価値を形成する。私は、労働日のこの部分を剰余労働時間と名づけ、この時間内に支出される労働を剰余労働と名づける。」(385頁)
マルクスのこの規定は鮮明である、と私は感じるのである。
マルクスが「労働過程の第二期」とよんだとしても、彼は、必要労働と剰余労働の二つの労働があると考えているわけでもなければ、労働者の生きた労働があらかじめ必要労働と剰余労働に分かれていると考えているわけでもない。労働力の使用価値が(生産手段の使用価値とともに)消費される過程をなす労働過程、すなわち労働者の生きた労働の過程をなす労働過程は、必要労働時間と剰余労働時間とに概念的に区分して考察することができるのであり、一労働日は必要労働時間と剰余労働時間に概念的に分割して考えることができるのである。このように考えることによってこそ、資本家による剰余労働の取得を、すなわち労働の搾取をあばきだすことができるのである。