国会解散。高市は「国家経営」と言う。民族排外主義=「日本国家」主義=日本人主義をうち砕こう!

国会解散。高市は「国家経営」と言う。民族排外主義=「日本国家」主義=日本人主義をうち砕こう!

 

 高市は、国会解散を正当化するために「高市早苗に国家経営を託していただけるのか、信を問いたい」と言った。自分に国家経営を託せ、とは、自分に労働者たちを支配させろ、自分が労働者たちを支配するぞ、ということなのである。

 この言辞は、現存する日本国家の存在とこの国家を守るということを絶対的前提にして、「経営」というようにやわらかく言ったものである。これがまやかしである。これは、現存する日本国家を支配する支配階級の利害を貫徹する、という意志を傲然と表明したものにほかならない。これは、これからも、これまでと同様に、資本家が労働者たちを搾取するぞ、資本家階級による労働者階級の支配を貫徹するぞ、という意志の表明なのである。

 われわれが労働組合において、組合役員として「排外主義に反対しよう」と提起したときに、組合員たちはしばしば、この「排外主義」を「他人を悪く言うこと」というようにうけとってしまう。「他の国を敵視すること」というようにはうけとらないのである。すなわち、「排外」の「外」を「外国」というように理解せず、「他人」というように理解してしまう、ということである。問題を国と国との関係の問題とうけとらず、人と人との関係というようにうけとってしまう、ということである。

 これは、組合員たちが「日本国家」という国の利益を追求するということをあまりにも当然のこととして考えており、それを疑うということはなく、何かあると、「中国が悪い・こわい」と感覚し考える、ということにもとづくのである。したがって、われわれは、組合員たちと、「日本国家の利益」と考えることそれ自体がおかしいのだ、それは支配階級の利益のことなのだ、戦争をやって得をするのは支配階級なのだ、というように論議していかなければならない。

 この意味では「民族排外主義」という言葉をつかうのがいい、と言える。しかし、組合員たちは、かならずしも「日本民族」という感覚と言葉で考えるわけではない、ということからすると、なかなかむずかしい。

 また、われわれが組合役員として「極右勢力とたたかおう」と言ったときに、組合員たちはしばしば「何か政治的なことを言っている」というようにうけとめてしまう。昔は、「右」というと「民族派」とも言われたのだけれども、組合員たちにはそういう感覚はなく、「右」と言っても、「それは、日本の伝統を守れ、という主張だ」「それは、日本民族を優越なものだ、とする主張だ」というようにうけとり考える、ということがないのである。このことは、21世紀現代においては、国際的な人の行き来がはげしくなり、また国際結婚も多くなって、組合員たちは「日本民族」、あるいはまた「日本人という人種」という感覚と言葉で感じ考えるということがほとんどなくなってきていることにもとづく、といわなければならない。

 これに代わって、組合員たち・労働者たち、そしてあらゆる諸階級・諸階層の人びとが感覚し考えるのは、「日本という国」「日本国家」の利益ということであり、自分は「日本という国」「日本国家」に所属しているという意識、そういう意味での「日本人」という意識である、といえる。この意味では、外国へ行って「日本から来ました」という意味で「日本人です」と答える・この「日本人」とは異なって、「日本国家」を丸ごと一つのものとして捉え「自分は日本国家に所属している」という意味での「日本人」という意識である、といわなければならない。

 労働者までもが、このような意識におちいったのは、プロレタリア階級闘争が壊滅したことにもとづくのであり、あらゆる政党が日本の国益を主張していることに汚染されたものだ、といえる。

 したがって、われわれは、組合員たち・労働者たちに、この「日本人」意識、「日本国家」への所属意識から決別し、自己を労働者として自覚すること、自分は資本家に搾取されている労働者なのだ、と意識することをうながさなければならない。われわれは、このイデオロギー闘争を断固として執拗にくりひろげなければならない。

 断固がんばろう!