われわれは、仕事をしているときに何を考えて仕事をするのか

われわれは、仕事をしているときに何を考えて仕事をするのか

 

 われわれは、自分のやっている労働が外的合目的性に規定された労働であり、疎外された労働である、ということを知っている。われわれは、一日のなかできわめて長い時間、この労働をやるわけである。われわれは、労働するときに、われわれ的な意味において目的意識的でなければ、自分をこわしてしまう、と私は思うのである。

 職種によっていろいろ違い、一般的に論じることはできないので、私がやっていた介護施設の厨房の調理補助、すなわち盛り付け・皿洗いの仕事について、私の経験をもとにして考えてみたい、と思う。

 まず私が考えたことは、少ない人数でメチャクチャいそがしく働かせられるので、これを軽減することであった。

 それと同時に、おぼえることがいっぱいあり、きつい仕事であるということから、やめるまでに追い詰められる労働者が相次いでいるので、これらの労働者を守ることであった。

 さらに、これらを実現していくために、私が仕事をしている時間帯にかんして、私が労働を指揮する比重を、すなわち私が采配を振るう比重を増やしていく、ということであった。

 まず、仕事を軽減することについてである。栄養とかについては栄養士が考えているので、調理する労働者はその食材をもとにしてつくるだけであった。施設側は何を気にしているのか、そして、現場責任者をふくめていっしょに働いている労働者たちは何を気にしているのか、ということを、私は分析する必要があった。気にしている点にかんしては、それを満たしながら、簡略にした仕事のやり方を見いださなければならなかったからである。

 みんなが話しているのを聞いていると、施設側は、料理をだすのを時間どおりにすることを気にしており、これにとっては料理がさめることはやむなしと判断している、ということがわかった。施設当局者にとっては料理をだすのが間に合わないのが決定的に困る、ということは、介護労働者を無駄なくこき使うということからしても、入所者である老人の怒りとその家族の目を気にするということからしても、当然と言えた。ここから、厨房のわれわれは、とにかく早くつくってしまわなければならない、ということがみちびきだされるのである。

 それから、仕事のやり方については、厨房全体のしきたりがあると同時に、それぞれの労働者は自分のやり方というものをもっており、労働者たちの力関係に応じてそれを貫徹している、ということが見てとれた。新米は、誰と組むかに応じてその労働者のやり方をしないことには生きていけない、ということがわかった。

 私は、調理補助の仕事にかんして、朝食づくり・昼食づくり・夕食づくりのすべてをやったのだが、年をとりすぎてからは、夕食づくりにしぼった。

 簡略な仕事のやり方を見いだすということについては、注意すべきことは、そのときどきの労働組織の人数を死守しなければならない、ということであった。夕食づくりは基本的には3人体制なのだが、私とでならできるという判断のもとに90人分の夕食を2人でつくるというようなシフトが組まれるとたまったものではなかったからである。

 仕事のし方について一つのことがらをみる。

 料理は、入所者がのどに詰まらせないように、常食・刻み食・超刻み食・ミキサー食というように形態別に分けるかたちで加工するのだが、刻み食は1センチ角以下、超刻み食は1ミリ以下というのが目安となっていた。

 肉にかんしては、鶏肉はやわらかいので、包丁で切るとうまくいった。これにたいして、豚肉は相対的にかたいので、のどに詰まらせないということを考えると、最後はとにかく細かく刻まなければならなかった。そうすると、フードプロセッサーにかけても、頃合いを見はからって止めるとほぼ同じ形状になることがわかった。これだと圧倒的に早くできた。夕食づくりの盛り付けにかんしては、ほぼ私が指揮していたので、このやり方を採用することにした。

 普段は昼食づくりのシフトに入っていて時々夕食づくりのシフトに入り私の相棒となるパート労働者がいた。私は「私といっしょにやるときはこういうようにやればいいからね。昼は昼のやり方でやってね。あんたが怒られたら困るから」、と言って教えた。私は、このようなかたちで、労働しているときそのものにおいて、ものすごくきつい労働が強制されることをこのようにして緩和すればいいのだということ、会社のしきたりをこのようなかたちでやぶってもいいのだということ、そしてそれはまわりの労働者たちとの関係をつくりながらやらなければならないのだということを教え、この労働者の労働者的意識をたかめるようにしたのである。

 昼食づくりはそれなりの人数がいるので、それぞれが一つの仕事を担当するのがしきたりとなっていた。このパート労働者は、もうそれなりに長いのだが昼食づくりの労働組織の担い手では一番最後に入社した人なので、一番簡単な・漬物を形態別に加工し小皿に盛り付けるということばかりをさせられていた。他の仕事はできないままであった。この労働者がやめるまでに追い詰められないためには、他の仕事を覚える必要があったのである。

 私は、このようなことを実現するために、料理そのものは調理師の労働者がつくるのだが、これを形態別に加工し・盛り付け・入所者各人の名札をおいたお盆に置いていくという作業については、3人からなる夕食づくりの労働組織の指揮を私がとる、というように一歩一歩やっていったのである。

 いまのべたことで、労働者を守るということについても、私が諸作業の指揮をとるということについてもふれた。

 ここでは、私が労働している前や後に、管理者とどのようにたたかっていたのか、ということについてはふれなかった。

 いま見てきたところの、労働している私は、外的合目的性をおのれの目的意識にしていたのではない、と私は思う。この私は、われわれ的な意味において目的意識的に実践した、と私は思うのである。

 われわれは、外的合目的性をおのれの目的意識とするのではない。資本家がこのように労働せよと強制してくるところの・労働にかんする目的と手段の体系は、われわれが分析する対象であり、われわれはそれをつかみとるのであって、われわれはそれをおのれのものとするのではない。われわれは労働しているときそのものにおいて・共産主義者として目的意識的でなければならない、と私は考えるのである。そうでなければ、われわれは労働において自己を喪失し、自己をこわしてしまう、と私は思うのである。

 

              何を考えながら労働するのか