われわれは極右の分析にとどまることなく、極右の主張・イデオロギーを徹底的に批判しなければならない

われわれは極右の分析にとどまることなく、極右の主張・イデオロギーを徹底的に批判しなければならない

 

 われわれは、参政党などの極右の分析にとどまってはならない。われわれは、極右の主張・イデオロギーそのものを徹底的にイデオロギー的に批判しなければならない。

 われわれは、労働者階級を階級として組織するために、極右勢力とこれがその利害を体現する支配階級が、極右のイデオロギーを労働者階級に属する人びとに注入して彼らを洗脳し、労働組合と一切の労働者組織を破壊するのを粉砕するために、極右のイデオロギーを徹底的に批判しなければならないのである。

 しかし、これがなかなか難しいのである。

 もしも、変質して自称するだけになっている部分をふくめて・大きくいってマルクス主義の陣営に属する者を相手にするのであるならば、マルクスの文章を引用して、これを歪曲している、といえば、その者への批判になるのである。そのような批判が批判たりうるのかどうかは別にして。

 また、反戦闘争の指針を解明するばあいには、戦争に反対する、ということを前提にするのである。他党派にたいして、こういうことに反対しないのでは、戦争を阻止することはできない、と批判するのである。

 ところが、極右を相手にするときには、戦争に反対する、ということを前提にすることはできない。一切のことを前提とすることはできない。参政党の神谷は、「大東亜戦争のように戦い抜いてやる」と叫んだのだからである。国を守るためには、敵国を打ち負かし・その領土を奪う戦争をやらなければならない、と主張するのだからである。

 自民党のなかの極右分子といえども、このように主張した者はいない。日本では、政権の座に就いた政党に属する政治家は、二度と戦争をやってはならない、と言うのである。トランプは、戦争をやる、と公然と言う。国防省を戦争省にかえた。ところが、日本の政治家は、自分の腹の内は隠して、平和を守るために軍事力を増強するのだ、と言うのである。

 それほどまでに、日本の人びとがうけた戦争の傷跡が、すなわち沖縄戦、空襲、原爆の投下による傷跡は大きく、その記憶がうけつがれている、といえる。

 参政党は、日本の労働者階級およびその他の諸階級・諸階層に属する人びとの、この心の奥底を破壊する策動にうってでたのである。

 われわれは、労働者階級を階級として組織するために、極右のこのイデオロギーを粉砕しなければならない。

 そのためには、次のことが必要である。

 独占資本家どもは労働者たちを搾取し、この搾取をおおい隠すために資本家階級とその国家は労働者階級を政治的に支配するのであって、みずからのナショナリズム民族主義国家主義=排外主義のイデオロギーでもって労働者階級およびその他の諸階級・諸階層の人びとをからめとり、彼らを国家のもとに国民=民族として統合するのであり、若者たちを、支配階級の利害を貫徹するための侵略戦争に兵士として動員するのだ、という把握を基礎にして、われわれは、極右のイデオロギーを批判しなければならない。

 われわれは、このことを肝に銘じよう!

 

     天皇ナショナリズムによって神の使いとされる奈良の鹿

 

 次のような説明がある。

 奈良の鹿は、特に春日大社において神聖視されています。この信仰の起源は、奈良時代に遡ります。伝説によれば、主祭神である武甕槌命タケミカヅチノミコト)が、鹿島神宮から白い鹿に乗って奈良に降臨したとされています。この神話により、鹿は神の使いとして位置づけられ、特別な存在とされるようになりました。

 

 参政党の憲法構想案では、ここに言うような神話を、義務教育で教えよ、としている。