『資本論』第一巻第一章第一、二節の労働は、マルクスが現実の労働をどのようにして考察したものなのか
マルクスは、『資本論』第一巻第一篇第一章第一、二節において、商品にふくまれている労働について考察した。われわれは、マルクスがこの労働についてどのようにして明らかにしたのかということをつかみとるためには、彼が現実の労働から出発して、これをいかに下向的に分析したのかということを省みなければならない。
現にあるものが商品であるためには、それが労働生産物であり、種類の相異なる使用価値でなければならない。種類の異なる使用価値でなければ、面々相対した労働生産物同士が交換されることはなく、それらが商品となることはないからである。
このことが、資本制生産様式が支配的におこなわれる社会において生産された商品を考察する下向のどんづまりをあらわす。これは、抽象のどんづまりなのであるからして、これを、普遍的抽象のレベルとよぶことができる。
普遍的に抽象する思惟によって明らかにされたところの、商品にふくまれている労働は、相異なる使用価値において表示されているものとして、種類が異なるという以外には何らの差異もない。
現実の労働から、その生産の物質的諸条件の相違、ならびに、労働の技術性の高低と熟練度の差異・および・その強度のちがいなどを捨象することをとおして、商品にふくまれている労働として、その種類が異なるという以外には何らの差異もない労働という規定をえることができるのである。マルクスが、商品において表示される労働の二重性という規定を明らかにしたところの労働は、分析的に下向する思惟のどんづまり=到達点においてつかみとられた・このような労働なのである。
ある生産物が他の生産物をみずからに等置することによって、この両者が等しいものとしては、——他面では、この両者が交換されうるためにはこれらの生産物は相異なる種類の使用価値でなければならないのであるが、この両者が等しいものとしては、——これらの生産物の使用価値の種類の相違は消失し、これらの生産物にふくまれている労働の種類の相違は消失する。マルクスは、労働のその種類が異なるという側面を、すなわち種類が異なる労働を具体的有用労働とよび、その種類の相違が消失し人間の労働であるという特性だけをそなえる労働を抽象的人間労働と名づけたのである。そして、彼は、前者の・労働の種類の相違を労働の質とよび、後者の労働はその労働の継続時間だけが違うものとして、労働のこの継続時間を労働の量と規定したのである。
このようにして、マルクスは、この普遍的抽象のレベルにおいて、商品の価値の大きさは、この商品を生産するために社会的に必要な労働時間によって規定される、ということを明らかにしたのである。
われわれは、『資本論』の第一章の第一、二節を論述したマルクスの、その背後の思惟の営みを、このようにつかみとるのでなければならない。