「可変資本の価値が生産物に対象化されている」という展開は、ただしいだろうか
次の展開はどうだろうか。
「生産された諸商品の価値構成は、生産過程の結果の面からするならば、W=c+v+mとなる。生産過程そのものにおいて消費され機能し運動した不変資本および可変資本の価値が、生産された諸生産物に対象化されているのである。」(下線は引用者)
不変資本にかんしては、その価値は諸生産物に移転しているわけである。この意味において、このことを「対象化されている」と言ってもいいであろう。
問題は可変資本の方である。「可変資本の価値」とはいったい何だろうか。直接的生産過程における生きた労働が、可変資本という規定をうけとるのである。生きた労働は価値の創造そのものである。
もちろん、投下された貨幣額のうちで労働力商品を買い入れるためにあてられた部分を可変資本と呼ぶならば、この可変資本の価値というようにいうことはできる。しかし、この価値は、生産物に対象化される、というような関係をなさない。
可変資本の価値が生産物に対象化される、とは、いったいどういうことなのであろうか。
この展開は、労働者たちの労働の苦しみを感じとったものと言えるのだろうか。