高校生や大学生は、先生の授業のし方や教えられる内容を徹底的に批判するのがいい
高校生や大学生は、いま受けている教育によって自分が格好の搾取材料としてつくりだされているという・この自己存在を否定しなければならない。こうするためには、若い仲間たちは、授業を受けているときに自分の頭のなかで、先生の授業のし方や先生が自分に教えこんでくる内容を、社会を変革するのだという自分の価値意識を貫徹し、自分の知っている論理を駆使して、徹底的に批判しなければならない。
これは私が中学生のときだったが、社会の若い先生は、「第二次世界大戦は、最初は帝国主義戦争だったが、ソ連が参戦することによって民主主義対ファシズムの戦争になった」、と教えてくれた。私は「そんなことはない。ソ連が参戦しても帝国主義戦争であることには変わりがない」、と頭のなかで否定した。この先生の試験だったが、「国家とは何か」という質問があった。私からすれば、〇をつけるものが二つもあった。それは、「階級支配の道具である」というのと「抑圧の機関である」というものとであった。私は両方に〇をつけたのだが、「こんなことを試験に出して大丈夫かなあ」と思った。この先生は、私が二年生になったときに着任してきたのだが、教室にきて最初に自己紹介として「若者よ」を大声で歌った。音痴の私はびっくりして「はずかしくないんやなあ。たいしたもんやなあ」と思って聞いていた。この先生は、のちには、校内最悪の反動分子である教頭に憎まれていた。(私は友だちに、「この学校の一番の反動教師、誰か知ってるか」「知らん」「教頭や」「ほんまか〔大阪弁:ほんとうか〕、アイツか」、と教えてもらったのだが。)この先生のような人が共産党支持者なのだ、とだんだんわかってきた。こんなことを考えたので、いまでも覚えているのである。
こういうことを考えているとブルジョア教育をうけているのであっても、おもしろいのではないだろうか。
高校の日本史・世界史の先生は、細かい字でいっぱい書いたプリントを配って授業をやった。文化・政治・経済というように三つの欄に分けて、それぞれのことがらを相互に連関づける線がいっぱい引いてあった。この先生は「教科書を勉強しているだけではあかんで。こういうように連関づけて頭に入れると、大学入試でいい点とれるんや」と言った。それで、この先生は、この世の中をうまくわたっていくというブルジョア的価値観の持ち主なのだ、とわかった。それでも、この連関づけ方は、若いころにマルクスの唯物史観をかじったことのある人のように思えた。自分が学んだものといまの教え方に自信と誇りを持っているようだった。私は、マルクスの、経済的土台と政治的およびイデオロギー的上部構造との連関の解明を念頭におき、先生の説明では、前近代社会においては身分によっておおい隠されているけれども、階級的対立があること、この階級対立がはっきりしないことをひっくりかえし、階級対立を措定して改作するかたちで、注意を集中して聞いた。
こういうようにやると、ブルジョア教育の授業もおもしろく受けることができ、多くのことを自分が改作したかたちで自分の頭に残すことができるし、自分の頭をまわす訓練をすることができるのではないだろうか。
意識的に考えようと思っている高校生・大学生のみんなは、ぜひ、こういうことを考えてほしい、と私は思う。