ブルジョア学者、プーチンをヒトラーと見立てて軍事的対決を煽る

ブルジョア学者、プーチンヒトラーと見立てて軍事的対決を煽る

 

 ブルジョア学者は、プーチン第二次世界大戦におけるヒトラーの位置におき、軍事的対決を煽っている。安倍晋三とりまきの学者・細谷雄一(慶応大学教授)の「楽観が招いた惨禍 再び」(読売新聞3月6日)が、それである。

 この男は言う。

 「第二次世界大戦前、チェンバレンは、ヒトラーを一定程度理性的な交渉相手と見なし、相互理解や協力が可能だと踏んでいた。しかし、後継の首相、チャーチルは、イデオロギー的な対立構図のなかで、ヒトラーを信頼する愚と、対独協力の虚構、そしてヒトラーの戦争の決意を見抜いた。

 バイデン大統領は、軍事的介入を回避し、相手への融和を厭わない「チェンバレンの顔」と、民主主義勢力の結集と「力による平和」を目指す「チャーチルの顔」の、二つの顔を持つ。ここにバイデン政権の外交の二面性が見える。カブール撤退は、「チェンバレンの顔」が強く表出していた。今は、「チャーチルの顔」を前面に出す必要がある。」

 「今こそ民主主義勢力を結集し、「力による外交」という「チャーチルの顔」を示すことが求められている。」

 この論は、明らかに、今日のロシアと中国を、第二次世界大戦におけるドイツ・日本・イタリアなどの枢軸国の位置におき、今日のアメリカ・西ヨーロッパ諸国・日本をかつてのアメリカ・イギリス・フランスなどの連合国の位置において、早くプーチンのロシアを軍事力でたたかないと、第二次世界大戦のような惨禍が引き起こされるぞ、と煽っているものである。

 もちろん、安倍晋三の御用学者として戦前の日本の再興を夢見ているこの男は、姑息にも、類推のこの構図の全体像は伏せておいて、自己の専門分野よろしくご都合主義的にヒトラーだけをとりだし、いまプーチンにたいして、ヒトラーにたいするチェンバレンの態度をとるのか、それともチャーチルの態度をとるのか、というように、西側の権力者たちと人びとに迫っているのである。

 もしも、今日の世界と第二次世界大戦時の世界とを類推するのであるとするならば、この男のように、ヒトラーにたいするチャーチルというような姑息な抽出をするのではなく、両者の全体像を対比したほうが類推として的確である。そうするならば、今日の<露・中⇔米・欧・日>という対立を、——スターリン主義国家・ソ連を外的条件とするところの——<独・日・伊⇔米・英・仏>という対立と類推することができる。

 だが、この類推には決定的な盲点がある。第二次世界大戦時には、世界の覇権をにぎる帝国主義国としては、イギリスが没落し、アメリカがのしあがってきていたのである。独・日・伊は帝国主義諸列強からはじきとばされ、植民地をもたない帝国主義国であった。これにたいして、現代世界では、世界の覇権をにぎっていたアメリカが没落し、それに代わって中国が帝国主義国としてのしあがってきているのである。

 したがって、現代世界の動向にかんしては、スターリン主義国家から転化した帝国主義国である中国とロシアが積極的要因をなし、従来からの帝国主義国である米・欧・日が消極的要因をなす、といえる。だから、対立の構図としては——中と露をひっくりかえして——<中・露⇔米・欧・日>と表記するのでよい。

 しかし、第二次世界大戦時の帝国主義世界の動向(ソ連を外的条件とするところのそれ)にかんしては、のしあがってきた帝国主義アメリカが帰趨を決していたのであるからして、米・英・仏が積極的要因をなし、独・日・伊が消極的要因をなす、といわなければならない。だから、対立の構図としては、——先の表記の ⇔ の右と左をひっくりかえして——<米・英・仏⇔独・日・伊>というように表現しなければならない。

 二一世紀現代世界の動向にかんしては、<中・露⇔米・欧・日>というように、東の帝国主義諸国と西の帝国主義諸国という二実体の対立を措定して分析することが肝要なのである。